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2001年の2月のある金曜日、私は数日前から頑張って仕事を片付け机を綺麗にし、皆に驚かれながら普段なら絶対有り得ない定時に会社を出た。 その当時、勤めていた会社は東京都大田区にあり、羽田空港までは環状八号線で一直線だったが、空港までタクシーを乗るほどリッチではなく、会社近くの環八で捕まえたタクシーを京急蒲田駅前で降り、京急で羽田空港へとやってきた。青森行きJAS18:35発は10分遅れて羽田空港を出発し、19:55に雪の青森空港に到着した。 割と小ぢんまりとした空港は市の中心部からは離れており、雪の山道をバスは50分ほど走り21:03に青森駅前に着いた。駅前からの新町通りは雪が積もり、歩くのも難儀な状態で膝まで雪に埋もれたりしながら駅近くのホテルに着いた。私は美味しい店を求めての町歩きは諦め、ホテルのB1にある郷土料理店で少し遅い夕食をした。女将さんが一人でカウンターに立つ店で、イワシの焼魚定食を食べたあと、青森の日本酒地酒「田酒(でんしゅ)」を熱燗と冷やでそれぞれ飲んだ。ツマミは「ホヤの酢和え」。女将さんは地元の人間でもホヤが苦手な人がいると話していたが、熱燗にしても味が変わらない田酒の濃厚な味わいにはホヤの独特の磯の香りはよく合った。 女将さんによると、こんなに市内まで雪が積もるのはとても珍しく、十何年かぶりの大雪だそうだ。翌日の行程が少し心配だ。 2001/2/19 (土曜日) 私はまだ藍色の夜空の延長線上にあるような暗い空の下、駅前のホテルから青森駅へ向かって歩いていた。昨夜に続き雪の降る青森は空気が透き通るような寒さ。キヨスクで新聞に紅茶にサンドイッチを買ってホームに向かう。これから私が乗るのは、特急「白鳥」大阪行き。13時間ほどかけて日本海沿いを走る特急だ。 存在は以前から知っていた。昼間走る特急では最長距離であるというこの列車に乗り、始発から終点まで乗り通したらどんな気分なんだろうか?そういう想像が間もなく現実のものではなくなるのだった。白鳥は翌月のダイヤ改正で廃止になる。それを知った私は衝動的に旅の計画を開始して、こうして早朝の雪のホームに立っているのだ。 人の気配の少ないホームに、白鳥の停まる三番ホームの周りだけが賑やかに感じられ、実際に立ち食い蕎麦屋も開いていた。夜明け前の空の下を明るく照らされているホームに、時折カメラのフラッシュも光る。頭に雪を載せた白鳥は、そんな早朝の歓迎を凛と受けとめているように思えた。 6:11 白鳥はゆっくりと青森駅を出発した。ポイントを通過する際のゴツゴツした音が雪に吸い込まれ、こもった音で伝わってくる。 雪は降り続いているが、弘前の辺りから段々と空は明るくなってきた。リンゴ畑が雪化粧を施している。日の出とともに日が差し始めたが、すぐにまた曇りになる。 青森を出て二時間ほど経った頃、雪は止んだ。羽後飯塚という小駅で行き違いのため停車した白鳥を、秋田県の空は晴れ間を持って迎えた。しかし、秋田県の県庁所在地秋田駅に着いた頃、再び曇りになった。冬の北国の天気は素人には読めない。そんな秋田で早くも車掌が交代する。反対側からは、この白鳥とは逆に大阪を出発してきた寝台特急「日本海」が青森を目指して走り去っていった。 羽後本荘、象潟と秋田県内の停車駅はどこも雪がホームに積もる。そんな寒々とした眺めを、暖房の効いた車内から申し訳なさそうに眺めている。 山形県に入ると更に雪は強くなり、酒田付近では強い雪が吹き付けてきた。列車が止まったりダイヤが乱れる事を心配しながら、それでも白く広がる庄内平野の眺めを楽しむ自分がいる。 ところが、そんな心配は無用とばかりに、新潟県に入ると空が明るくなり晴れ間がのぞき始めた。青々とした日本海には粟島がよく望める。車内販売でビールを買って、日本海を眺めながら飲んだ。 昼時過ぎの新潟駅に着くと、ここで進行方向の向きが変わるためのまとまった停車時間が待っていた。昼食用に駅弁、暇つぶし用に週刊誌を買う。 新潟駅付近は曇りだったが、越後平野をひた走り長岡の辺りに来るとまた晴れになる。ここまで目まぐるしく変わってきた天気だが、直江津の辺りからは空は完全に晴れ模様、地面に積もる雪も少なくなってきた。 北陸本線に入った白鳥はスピードを上げていく。私の席は海側なので海の方ばかり見ていたが、空いている車内を山側に席移動すると立山連峰が白く輝いていた。普段は車窓を撮ったりしない私が、持参のデジカメで立山連峰を撮る。前年に買ったサンヨーの85万画素のデジカメを初めて泊まりの旅に持ってきたのだった。 富山県の魚津駅では、車両の応急手当という理由で1分停まった。窓ガラスが割れたか何かのようで、その後も高岡、松任でも手当を行なった。通りがかった車内販売からカルピスを買って、のんびりと飲みながら北陸路を楽しむ。 金沢を過ぎると、地面に積もる雪は完全に消え、北国列車の風情が弱まる。北陸本線に入ってからは乗客も増え、松任で私の隣にも客が現れた。窓の外の空は西日が強くなり、福井県の武生に入った辺りで日は落ち始めた。山間に入り再び地面に雪が積もっている眺めになり、朝の青森県の眺めを思い出していると、長い北陸トンネルに入った。 トンネルを抜けると再び雪はなくなり、敦賀を出た辺りで日没となった。日が暮れた琵琶湖の眺めがうっすらと車窓に浮かぶ。湖北と呼ばれるあたりの緩い山々と湖の眺めは、すでに関西圏に入った事を感じさせない北国風情であり、今日一日の北国列車の車窓の締めくくりに相応しい、寒さを感じる眺めだった。 夜の闇だと時間の感覚もマヒしてくる。ずっと同じ列車に乗って旅するだけでも、時の観念など吹き飛んでいるだけに尚更おかしい。気がつけば白鳥は東海道本線の上を走り、予定時刻から3分遅れの19:09に大阪駅の二番線ホームに到着した。そこには、早朝の青森駅以上のカメラマンが立っていた。思ったより長かったという感じはなく、少し名残惜しささえあった。 翌日は神戸で用事があるので、その夜は神戸の兵庫駅前のホテルに泊まった。兵庫駅前にいい感じの洒落た飲み屋があったので、そこに入って明石のタコ刺しなどを肴に、山形の地酒「十四代」を飲んだ。まだ、白鳥の旅の余韻が残っているようだった。
by seasonz-t
| 2010-05-07 23:38
| エッセイ
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