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青春18きっぷを使って鈍行列車で日本縦断をした時、様々な車両に乗る機会を得た。真新しいディーゼルカーも乗り心地が良いが、やはり旅をしている充実感は客車列車にあった。 客車列車とは、動力源を持たない車両が機関車によって引っ張られて走る列車の事で、今は国内の鈍行ではほとんどなくなってしまったが、私が日本縦断をした頃は東北地方は客車列車がたくさん走っていた。東北本線、奥羽本線を走る鈍行と言えば客車列車であったのだ。 赤煉瓦を思わせる濃赤の単色の車体、車内には向かい合わせ四人掛けのシートがずらりと並ぶ。寒い季節の東北旅行では車両の真ん中あたりの座席に腰を下ろし、靴を脱いで前の座席に足を乗せながら窓外をぼんやりと眺めた。 蒸気機関車が奏でる汽笛は旅愁をそそる高い音色だが、電気機関車の「ピヨー」という汽笛もかなり旅愁を誘う。雪に包まれた田畑に囲まれた線路と、それを見下ろす厚い雲の空に汽笛が吸い込まれていく。 向かい合わせのクロスシートには所々にぽつんと乗客が座っている。朝や夕方は高校生で賑わう車内も、それ以外の時間帯は老人ばかりである。時折どこからか方言が聞こえてくる。「ああ、ここは東北なのだな」と思う。鈍行列車ならではの生活感への近さであろう。 空いている車内、向かい合わせのボックス式の配置のクロスシートだから駅弁を食べたり、酒を呑んだりしやすい。窓の外に流れる雪景色はモノクロ映画のような荘厳さがあり、それを眺めながら土地の味や地酒の味を親しむのは格別であり、景色は流れていくのに、時間は止まったかのようにゆったり流れていくのだ。 東北は美味しい駅弁も多い。たとえば、奥羽本線の大館駅の鶏めしは鶏そぼろの素朴な盛り付けで、噛むほどにしみじみ味わいが広がる駅弁であった。素朴な盛り付けと包装だからこそ、新幹線ホームのような賑わいの場所よりも、在来線のホームの立ち売りが似合う。 逆に大衆受けを狙った名物料理の駅弁も、それはそれで楽しい。東北本線の一ノ関駅で買った牛タン弁当は紐を引っ張ると加熱される仕掛けで、いつでも暖かい弁当を味わえるのだが、冬の鈍行の車内ではその熱気が別世界へと誘う。紐を引っ張った途端、弁当の熱と車内の気温差で湯気が立ち込み、回りの乗客を驚かせてしまった事がある。 時代は変わり、21世紀の今は新幹線が青森市まで達し、東北本線はローカル線と化した。盛岡から青森までは東北本線ではなくなり、JRでもなく第三セクター鉄道に転換された。東北の本線系統を走る鈍行は都会を走る通勤電車に似た内装を備えたステンレスボディの電車へと変わり、客車の鈍行列車は消滅したのだ。もう機関車が奏でる旅愁を誘う汽笛も聞けない。通勤型のロングシートになってしまった車内では弁当を広げるのははばかれる。 通勤型の車体だから座席の横にドアがある。冬はドアが開けば寒風が車内に吹き込んでくる。また、電車になった事で編成両数も減り、必然的に混雑が増した。合理化の名の下に、快適さも旅愁も失いつつある。 走る列車の窓の向こうの眺めは今もあまり変わらないのかもしれない。しかし、その見え方は客車列車と通勤型電車とではだいぶ違うだろうと思うのは、旅人のわがままだけでもないような気がして、それを合理主義な時代への変化と受け止めながら、少し哀しくも思うのである。
by seasonz-t
| 2012-03-10 23:20
| 東北
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