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路線が行き止まりになっている線を盲腸線という。東京で言うと青梅線や五日市線、大阪で言うと桜島線、福岡で言うと香椎線のような路線が盲腸線である。 行き止まりになっている終着駅が醸し出す旅情にはどこか寂しさのようなものがあって、それは風景や天候に関わらず旅人を吸い寄せるような磁力を放っている。例えば東北の盲腸線は何度も足を運びたくなる磁力の強さを感じる。 秋田県を走るローカル線というと、日本海に沿って小さな漁村を結ぶ五能線や、熊の狩猟をするマタギという人々が暮らす山里を走る秋田内陸縦貫鉄道が代表的存在で私も好きなローカル線なのだが、地味ながら味わいのある盲腸線がある。 奥羽(おうう)本線で秋田から青森方面に進んで行くと車窓に八郎潟が広がる。農業用干拓地であるこの地の入口とも言えそうな場所に追分(おいわけ)という駅がある。追分とは道が分岐していく場所を指す地名で、全国のあちこちで見る事が出来る地名だ。その追分から男鹿線というローカル線が分岐している。男鹿(おが)は日本海に面した漁港町で、鬼の面を被って各家庭を回るナマハゲの風習がある事でも知られる。 追分を出たあたりではどこまでも広がる田圃に農村を往くローカル線という印象しか受けないが、やがて列車は海岸が近い事を知らせる眺めへと変わっていき、平地にそびえる寒風山を望みながら男鹿へ向かっていく。 山の名前からして風が強く寒そうな町だが、私が訪れた時は春先で穏やかな陽気の日であった。真っ直ぐに広々と伸びる岸壁に立ち青々と横たわる日本海を眺めて、駅前の食堂に入ってアンコウを食べた。脂が乗って食べ応えがあり、思わず日本酒が欲しくなる味であった。秋田県は一人あたりの日本酒消費量が日本一の県なのだ。 アンコウでお腹がいっぱいになった私は秋田を越えて夕方に羽後本荘(うごほんじょう)にやってきた。三番線まであるホームの三番線に黄色いディーゼルカーが停まっている。車内はすでに高校生で満員であったから、私はドア付近に立った。 運転席の後ろのすぐ横がドアになっているのだが、これは車掌が乗務せず運転士が一人で下車客の切符の回収まで行なうワンマン運転をやりやすくするためである。ワンマン運転がやりやすいように運転席には後方認ミラーが付いている。そのミラーに沈み始めた夕陽が映る。 羽後本荘と矢島(やしま)を結ぶ由利高原鉄道は、廃止を検討されていた国鉄矢島線を第三セクター転換してスタートさせた鉄道である。沿線はこれといった観光地はないが、鳥海(ちょうかい)山の麓をゆったりと走る路線で、路線名も「鳥海山ろく線」と名付けられている。 羽後本荘の町並みは重厚で古びた家並みの良い佇まいで、列車はゆっくり町並みから離れると丘陵へと入っていった。丘陵は農地が点在し、次々と小さな無人駅が現れる。そんな無人駅に高校生たちが降りていく。農家の子供なのだろうが、高校を卒業したら都会に出ていくのであろうか。夕陽のオレンジと草の黄緑が溶け合い綺麗な黄昏色を演出している丘陵を眺めながら思う。 駅はいずれも小綺麗に改築されたりもせずに矢島線だった頃の面影を残していて、それが素朴で地味な盲腸線に相応しい佇まいとなっていた。終点の矢島もそんな感じの古びた駅舎の残る駅。 私は太陽がだいぶ山に隠れて日が暮れてきた山麓の小さな町を散歩しようと、家路に就く高校生達と共に細い駅前通りを歩き始めた。
by seasonz-t
| 2012-05-09 11:32
| 東北
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